gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

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老舗2書店きょう閉店 : 和歌山 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

和歌山市内の中心市街地で長く親しまれた2店の老舗書店が31日に同時に閉店する。江戸時代から続く同市雑賀町の「津田書店」と、1893年(明治26年)創業の宮井平安堂の同市内の最後の1店。県内の書店は、老舗に限らず続々と姿を消しており、書店数はこの10年でほぼ半減。活字離れやネット販売の普及などで、書店を取り巻く環境は年々厳しくなっており、同市出身の作家神坂次郎さんは「時代の流れかもしれないが、若い頃、時間があれば本屋に立ち寄っていた者からすれば非常に寂しい」と話している。(上野綾香)
幕末に創業した津田書店は、市街中心部で約160年間続いた店を、31日で閉める。これで、江戸時代から続く同市内の書店は、同市元寺町の「帯伊書店」だけとなる。
また、昨年6月に和歌山市本町の自社ビル内にある本店の書籍部門を閉鎖した宮井平安堂は、同市友田町の商業複合施設MIO内にある「JR和歌山駅店」を、「経営上の判断」を理由に、31日で閉店する。
同社の書店はフランチャイズの貴志川店(紀の川市)のみとなり、書籍を販売する直営店はなくなるが、花岡智彦社長は「本店は近い将来、再開したい。再度、原点に戻り、『本屋らしい本屋』を目指す」と話す。
全国の書店を調査している出版社「アルメディア」によると、2000年5月に251店あった県内の書店は、10年には132店にまで減っている。
県書店商業組合の久保田修平さんは、「地域に密着した町の本屋は、周辺のお客さんの傾向をつかみ、店ごとの特色を持っている。そんな店が消えていくのは残念」とため息をつき、「複合型店や大型店の進出のほか、コンビニエンスストアによる雑誌の取り扱いの影響も大きい。だが、最大の要因は急速に進む活字離れだ」と指摘する。
総務省の家計調査では、09年の和歌山市の1世帯あたりの書籍購入頻度は4・01回で全国平均(6・25回)を大きく下回り、全国の県庁所在地の中で最下位。書籍への支出金額も1世帯あたり6225円と、全国平均(9216円)の3分の2にとどまり、宮崎市に次いで低い水準となっている。
和歌山大教育学部の菊川恵三教授(国語教育)は、「本を読む時間もないほど、市民に経済的なゆとりがなくなっているのでは」と分析。「情報を早く手に入れることが重視されがちだが、得た情報を利用できなければ意味がない。物事を深く考えるには本が一番いい」と強調し、活字離れに警鐘を鳴らしている。

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/wakayama/news/20110130-OYT8T00697.htm

金の問題だというなら、金があるはずの中高年が何で買ってないのですか?
活字「離れ」だというなら、昔から活字に親しんでいる筈の中高年が本を買い支えてますよね?
…そもそも、今の中高年は昔から本なんか読まずに、TVで情報を得ていた世代だろうに…。
どうも、出版社や書店が勘違いしていると思われるのは、「本」は「媒体」であって、中の情報こそが「本質」である事。
そして、紙に印刷された「活字」からは離れているかもしれないが、ディスプレイや携帯液晶に表示される「文字情報」は、むしろ飛躍的に増大している。
それに、情報収集がネットに移行したとしても、本の需要が無くなった訳ではない。
自分はネット中毒気味ではあるが、毎月1万円以上、書籍類にお金を使っている。
もちろん、ネットでじゃない。
いわゆる、漫画専門店でだ。(念のため、漫画以外の本も扱ってるよ)
彼らは、ポイント還元や、店舗特典といった付加価値をつけ、普通に売っても売れる商品を、さらに販売促進する努力をしている。本のディスプレイもかなり工夫している。
ただ漫然と本を棚に並べて、定価販売するだけの「書店」が淘汰されるのは、自然の流れだと思う。
むしろ、今まで生き残ってきた事の方が、不思議。
閑話休題
不景気になり「図書館」が、本来の需要を食い潰している、というのはあると思う。
電車内で、貸し出し分類のラベルが貼られた本を読んでる人は、割と見かける。(読書好きなら、近くに立つ人の本をちらりと眺めて書名を知ろうとするよね?)
個人的に、図書館は娯楽書やCD、DVDの類は、入れなくてもいいし、それで利用者が来なくなるなら「図書館の役割は終わった」として、市立以下の中小図書館なら閉鎖して良いと思う。
図書館は「収入の多寡で学業の機会を奪わないため」の「知の泉」に立ち還るべきだと思うから。
金の無い人が、参考書を買えなくて困るのは国が何とかすべきだが、金の無い人が娯楽小説を読めない事まで、国が世話する必要は無いだろう、と。