gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

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「養分」「情弱」が正当化される社会とは、一体何なのか - シロクマの屑籠

(前略)
そんな折、ふとtwitterを眺めていたら「養分」という言葉が目に飛び込んできた。
(中略)
株価が大暴落しているせいもあってか、「養分」という言葉が私のなかに染みわたって変な気分になった。
(中略)
「養分」がたくさんのコストを負担してくれることによって、そうでない人々がお金をもうけたりサービスを享受できたりする構図は、現代社会のすみずみまで浸透しているので、私達は、それが甚だしい時には顔をしかめるけれども、その構図そのものに対して自省的になることはほとんどない。
(中略)
「養分」や「情弱」からお金をむしり取ることは、現代社会ではどうやら正当化されているらしく、現代人は、そのことに良心の呵責をあまり感じないのだろう。どうしてこんなことが大っぴらに、さも当たり前のことのように許容されているのだろうか。
(後略)

https://p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20181225/1545744577

質問してるけど、その前段階で自分が答えを出している件。
世界的に見ると、かつてない程に、貧富の差が拡大している現代は、上位100名で世界の富の過半を所有しちゃっているけれど、彼らからすると、それ以外の人間はみな「養分」な訳で、彼らが貧困にあえいでいる世界人口の半分、50億人に対して良心の呵責を感じている可能性は、ほぼゼロだと思うし。