gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

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アニメーターのわずかな個性も許さないアニメファンに絶望した! - ARTIFACT@ハテナ系

まず、アニメーター(=原画、動画)が個性を出すのは、そもそも大間違い。
動画が個性を出す、と言うのは論外だし、原画についても、一話について複数の原画家がつくのが当たり前である以上、30分の間に同じキャラクターの顔がコロコロ変わるのは、個性以前の品質の問題。
その為に作画監督が居る。
ただ、動画→原画→作画監督と叩き上げてきた人達は、作画監督と原画を兼任する事も珍しくない為、こうした勘違いの元になるのだろう。
このお話の場合、どうもその辺から勘違いしているみたいだけど、アニメーターを作画監督と置き換えたとしても、やはり間違った話だと思う。

まず、作画の波、という点については、

①同一話の中で絵柄が違うカットが混じる (アニメーターが個性を出しているw)
②話数によって絵柄が全く違う (作画監督が個性を出している)

という事について、明確に切り分けないと、論点がすれ違うと思う。
DVD発売時に修正されるのは、主に①であり、動画の質の問題だったり、後から判明した演出上の矛盾やら細かいディテールアップだったりする部分で、「アニメーターの個性」と呼ばれる話とは関係が無いと言う点である。
同一話ですら絵がコロコロ変わってしまうのは「作品」以前に「製品」として粗悪である。
少なくとも、作画監督の意図しない絵になっているとしたら、それは原画、動画が「間違っている」のである。(①のパターンね。TV放映では出てしまうのは、時間切れで修正しきれないためで、DVD収録時には修正される)
今回の記事では、②のパターンでDVD収録に当たり、特定の作画監督の回だけファンのせいで全面書き直しになったのではないか、という趣旨の話であるが、まず、作画監督が何故存在するのか。という点を考えれば判る話である。
アニメは多くの人間がその製作に関わっており、動画の基準となる原画が複数人体制である以上、全く同じ絵に出来ないのは仕方が無い。
作画監督とは、作品内の絵に統一感を持たせる為、キャラクターデザインや各デザイン担当が描いた決定稿のデザイン画に基づき、原画、動画達の描いた絵を監修するという職能である。
…そう、最初から自分好みにデザイン画を無視して描かせると言う権限は無いのである。
しかし一方で、フリクリ以降のGAINAXで顕著なのだが、勢いのある原画が描ける作画監督と、普通、と言っては語弊があるが設定に忠実な絵を綺麗な描ける作画監督を並列起用して、同一作品内でもまるで別キャラのようにしか見えないほどに違うものの、話の内容に応じて「アクションに強い、動きのある絵」と「設定に準じた綺麗な絵」が描ける作画監督を使い分けると言うものがある。*1
これが、②に該当するケースであり、これについて「アニメーターの個性」が出る事は当然であるが、この点について「絵柄の均質性」を問う議論は意味があると思う。
まず、押さえておかねばならないのは、こうした作画監督の並列起用による絵の均質が保持できない点が「納期と作業量」の関係から発生した現実的な対処でしかなく、本来的に「話数単位ではなくクール内で絵柄の大きく違う話が混じる事」は誰が望んだ事でもない。という点。
GAINAXの作画監督の使い分けも、単にそれを逆手にとって「演出」として押し切っている現場の知恵なのである。
ところが、こうして誰の目にも明らかに製作スタッフの個性が見えてきたとき、それまではロクに作画の微妙な差とかを気にもしていなかった一部のアニメファンは、そういう部分に拘った方がファンとしてカッコイイと勘違いしてしまったのようなのである。
ハッキリ言おう。
アクションに強い絵だろうが、可愛い絵だろうが、デザイン画と明らかに違う絵を描いていたら、本当はダメなのだ。
アクションに強い絵を使いたいなら、デザイン画の段階からそうすべき*2だし、可愛い絵*3でも同様である。
今、それが許容されているのは単に、絵の均質化に割けるだけの人的、金銭的リソースが無いから、という身も蓋も無い現実があるからなのである。
個性を否定しているのではなく、そもそも「作画監督が個性を前面に出すのは本来間違ってる」のだ。
それでも、人間のすることだから、完璧と言う事は無くて、昔から「作画監督(原画)が○○さんの時は可愛いよね」とか、「○○作画(原画)はちょっとブサイクだよな」と言った細かい差異を楽しんでいたわけなのだが、最近はGAINAXの手法が一般化して「演出」の一言で似せる努力を放棄する作画監督(原画)が増え、それを何とかするだけの時間も金も無いから野放しになっているだけだと思う。*4
製作現場がそうした「かつてはしていた当たり前の事」が出来ないほどに追い詰められている結果を、単純に「演出」だ「個性」だと喜んでいる向きには、当たり前のことを当たり前に主張するファンの意見なんて、適当なバッシング材料にしか見えないのかもしれないけれど。

ここから先は例示に対するツッコミ。
この話で傍証として例示されている、魔法少女リリカルなのはA's DVD版第12話 の絵柄に関しても、確かに全面書き直し、とされるにはちょっと可哀想なクオリティがある事に異論は無い。
が、予算と時間が許されるなら、作品全体のブラッシュアップで作画の均質化を図るのは、商品価値の向上と言う点でも最近は珍しい話ではないし、製作側の誠意の表れであり、DVDを購入する側としても歓迎する事はあっても否定する理由が無い。
…そもそも、DVDを買うファンなら、TV放映も保存がデフォだから、両方楽しめるし。(おっと、話が横道にそれた)
記事最後に引用されているとおり、まず、大幅な書き直しについての原因をファンに押し付けている点については、根拠の無い邪推でしかない。
例え、その通りファンからの指摘が変更理由だとしても、そこに何の問題があるというのだろうか。
ファンの指摘を単なるクレームとして無視して、そのままDVDに収録して売ったとしても、DVDを購入するファン達が大きく減るような事は無かっただろう。
しかし、わざわざファンの指摘を無視せず、製作スタッフがDVD収録に当たってわざわざ全面的に書き直したと言う事である。
本当に修正が無駄と思っていたのなら、予算と時間を使ってまで修正なんてしない。
この大幅な作画変更を「ちょっと違うだけなのに」と言い放ち、スタッフの良い作品をファンに送り、残そうとする努力を、根拠の無い邪推に基づく同情と言う刀で切り捨てている点で、作品のファンでもないのに語るな。と言いたい。

追記:動画が個性を出す、と言うのは論外だし、原画についても〜 のくだりについて。
この場合の個性って、基本的にデザインを似せる気も無い書き手の素の絵、という意味ね。
動画が技術のいらない単純な作業なんて思ってないよ。そういう意味での個性というか個人的ノウハウはあると思うけど、それは今回の趣旨とは違うし。
ほら、模写しか取り得の無い某国とかに出すと、すんごい(ダメな)代物が返ってくるじゃん?

*1:前者の場合、作画監督自身がコンテと原画を描いている事が多い

*2:フリクリなんて、最初はなんであんなキャラクターデザインにしたのか不思議だったが、動かしてみたら納得した。話は嫌いだけど

*3:一期のセーラームーン伊藤郁子作画の回は良かったが本来的にはマズかった話。でもRだったかS以降はキャラクターデザインが伊藤郁子メインになったので、無問題となった

*4:そうした人たちも時間があれば似せる為の努力をするんだろうけど