gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

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CNN.co.jp:米大統領、チベット騒乱で中国国家主席に懸念表明

ワシントン(CNN) ブッシュ米大統領は26日、中国の胡錦濤国家主席と電話で会談し、中国チベット自治区の抗議活動参加者に対する取り締まりへの懸念を伝えた。
ブッシュ大統領はまた、チベット仏教の最高指導者ダライ・ラマ14世の関係者との対話や、チベット自治区への記者や外交官の立ち入り許可を中国政府に促した。両首脳は台湾へのミサイル部品誤送や北朝鮮核廃棄、ミャンマーなどの問題についても意見を交換した。
チベット亡命政府は、ここ数週間の一連の騒乱による死者が約140人にのぼったとしており、北京五輪を前に中国の人権問題があらためて浮き彫りになった。中国当局は死者数を大幅に少なく発表するとともに、チベット人に狙われた「無実の犠牲者」だと説明している。
ホワイトハウスによると、米国はスポーツと政治は別との立場を維持し、北京五輪をボイコットしない方針。

http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200803270009.html

モスクワオリンピックはー?

ボイコット問題
この大会は、冷戦の影響を強く受け、西側諸国の集団ボイコットという事態に至った。
経緯

  • 1979年12月 - ソ連のアフガン侵攻が発生した。
  • 1980年1月 - アメリカのカーター大統領が大会ボイコットの方針をアメリカオリンピック委員会に伝え、他の西側諸国にも同調を求めた。
  • 1980年2月 - 日本政府はアメリカに従い大会ボイコットの方針を固めた。一方、日本オリンピック委員会JOC)は大会参加への道を模索した。
  • 1980年4月 - 日本政府の最終方針としてボイコットがJOCに伝えられた。多くの選手はJOC本部で大会参加を訴えた。
  • 1980年5月24日 - JOC総会の投票(29対13)でボイコットが最終的に決定された。
  • 1980年6月11日 - JOC常任委員会モスクワ五輪日本選手団(幻のメンバー)を承認し、同時に大会への不参加を確認する。

主な国の動向
日本以外では西ドイツや韓国、それに1979年10月の国際オリンピック委員会IOC)理事会(名古屋開催)でIOC加盟が承認されていた中国を含む50カ国近くがボイコットを決めた。 一方で、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、ベルギー、ポルトガル、スペインなどは参加した。ただし、例えばイギリスではボイコットを指示した政府の後援を得られず、オリンピック委員会が独力で選手を派遣した。そのため、優勝時には国旗の掲揚と国歌の演奏が行われず、五輪旗と五輪賛歌が使用された。また開会式では、フランス、イタリア、オランダなど7カ国は競技には参加したものの入場行進に参加せず、イギリス、ポルトガルなど3カ国は旗手1人だけの入場行進となった。

この他、モントリオールオリンピックでは南アフリカ共和国アパルトヘイト政策に絡んで大量のボイコット国を出したアフリカ諸国は多くがオリンピックに復帰した。

1980年モスクワオリンピック - Wikipedia