gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

はてなダイアリーが更新できなくなったので、泣く泣くこちらに移行。使いづらいようなら、別なサービスへの引っ越しも検討する予定。元ダイアリー:http://d.hatena.ne.jp/gayuu_fujina/

<首相退陣表明>独自スタイル孤立…辞意表明から3カ月 (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

菅直人首相(64)が26日、正式に退陣を表明した。内閣不信任決議案を葬るために事実上の辞意を口にしてから3カ月。驚異的な粘り腰で窮地に活路を見いだそうとしたが、最後は政権内で孤立を深めた。閣内調整を経ない「脱原発」宣言など市民運動出身者として独自のスタイルで挑んだ政策課題も、多くは道半ばで終わった。【政治部副部長・平田崇浩】
26日午後2時から国会内で開かれた民主党両院議員総会。菅氏は「やるべきことはやった」と胸を張り、3カ月間の政治空白を生んだことへの反省の弁はなかった。「国民が聞く耳を持たなくなった」ことを退陣理由に挙げた鳩山由紀夫前首相と同様に、責任を明確にしないままの不自然な幕引きだ。
「大震災、そして原発事故に遭遇したときの内閣総理大臣、このことは歴史の中で消えることはない」
「歴史の評価」にこだわり続けた菅氏らしく、総会では震災と原発事故の対応にも自負をにじませた。3月15日に東京電力本店に乗り込み、福島第1原発からの撤退を阻止したこと、さらに「脱原発依存」へとかじを切ったことを評価する声はある。ただ、全体の震災対応が適切だったかどうかは、今後の検証を待つ必要がある。
23日の参院財政金融委員会では「何か間違ったことをやったから責任を取るということは全くない」と引責辞任を強く否定した。では、なぜ退陣するのか。菅氏は「党内に向けての約束を果たすこと」と説明した。民主党の分裂回避という内向きの理由で首相ポストの取引に応じたことを認めた形になる。
この3カ月間、国会では「首相が辞めるかどうか」が最大の焦点だった。赤字国債を発行するための特例公債法や再生可能エネルギー固定価格買い取り法も、与野党の駆け引き材料となった。延命意欲を隠さない菅氏には「詐欺師」などの罵詈(ばり)雑言が飛び交い、政治の劣化を印象づけた。
「どうしてもやりたいことがあるなら、そのために身を捨ててでもやるとはっきり言った方が国民の理解も得られるのではないか」
通常国会の延長期間を巡って政権内が混乱した6月、民主党岡田克也幹事長は菅氏に苦言を呈した。政策の実現や、緊急の震災対応ではなく、政権維持自体が菅氏の主目的ではないかとの疑念が、政界にまん延していたためだ。
6月2日の不信任案採決時に、鳩山氏と玉虫色の「確認書」を交わしていなければ、決議の可否にかかわらず、小沢一郎元代表との党内闘争に一つの区切りをつけていた可能性がある。今、党代表選で再び「親小沢」対「反小沢」が繰り返されていることは、菅氏の判断ミスを物語る。
イラ菅」に怒鳴りつけられることの多かった官僚側からは「自分に責任が生じる話になると、がぜん詰めてくる」とのぼやきも聞かれた。最後は内閣支持率15%を記録するほど国民の支持を失い、在任1年3カ月で政権を去ることになった。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110826-00000114-mai-pol

結局、「責難は成事にあらず」という事だったのだろう。
ただ自民党の政策にケチをつけ、非現実的な理想論で否定するだけで「何かをしてきた」と見せていた「だけ」の政治屋集団に、「責任感」なんて必要なかったのだから。
この辺り、同じ改革を口にし、道半ばで挫折した小泉純一郎は「官邸主導」であり、あくまでも責任は官邸=内閣総理大臣である事を明確にし、その功罪の責任を取ったのとは、まったく対照的と言える。
言い換えるなら、民主党の「政治主導」とやらは、「無責任に酒場で政治に愚痴る無名の市民」レベルの行為で、国会議員の高給と各種利権を食んで、責任は誰も取らない。というオチであり、革命後に「却って前より悪くなった」という、発展途上国で嫌と言う程発生してきた残念な結果が、世界第二位の経済大国にして世界有数の先進国である筈の日本でも発生した、という話なのだ。
「経済一流、政治は三流以下」という世界の日本評価に、自らお墨付きを付けた訳である。
閑話休題
さて、この現状は、誰が悪いのかって言えば、間違いなく「国民」だ。
何故なら、日本は民主主義国家であり、民主党は国民の7割を超える支持を得て公正な選挙で選ばれた「国民の代表」だから。
騙した詐欺師(民主党)も悪いが、マスコミの自民叩きマッチポンプを真に受けて、マスコミが報道しない中韓朝と民主党の癒着構造と、民主党議員の反日活動実績を知らないまま選挙に行った事は、「知らなかったんだから仕方が無い」では済まないのだ。
高くて分厚い政治関連の新書を読む必要も無く、選挙の前に、少しネットで調べれば嫌でも判った筈の事なのだし。
インターネットが発達する前なら、TVと新聞を押さえられれば、国民の知る事ができる情報のほぼ全てを押さえる事が出来たが、今は全く違う。
その点で、今の「知らなかった」は「知ろうともしなかった」という意味であり、民主主義国家の国民として「言ったら恥ずかしいよね」的発言なのである。