gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

はてなダイアリーが更新できなくなったので、泣く泣くこちらに移行。使いづらいようなら、別なサービスへの引っ越しも検討する予定。元ダイアリー:http://d.hatena.ne.jp/gayuu_fujina/

SYNODOS JOURNAL : 安楽死や自殺幇助が合法化された国々で起こっていること 児玉真美

最初に取り上げられた「アシュリー事件」はショッキングだけど、安楽死や自殺幇助とは直接関係ない点について。
むしろ、重篤障害児の安楽死(尊厳死)が認められていればこんなグロテスクな「生かし方」は端から考えられずに済んだんじゃね?
個人的には、どんな生に対しても生存選択の権利は認めるが、過度な公的補助を期待するのは勘弁して欲しいと思う。
この記事で支離滅裂なのが、「くぐりぬける力」を信頼しろ、と家族による介護を持ち上げつつ、リン・ギルダーデール事件で家族介護は密室だと非難する。
そして、介護者もまた支援を必要としていると、社会による支援を求めるのだ。
結局は、「私はどんな障害児を見捨てない素晴らしい介護者なんだから、自己満足の為に社会的支援をもっとよこせ」という本音が透けて見える。
自ら望んで茨の道を選択した以上、労働負担も経済負担も当然「望んで得る苦労」に含まれるんじゃないのかね?
特に、障害児に関しては、生殺与奪件を両親が持つのは、その負担を負う・負わないを決断する意思と直結している以上、自然な話だ。
アシュリー事件はグロテスクな話だが、現実的な問題として、死ぬまで完全介護を必要とする状態で健常者と同様の寿命を持つのだから、年老いた両親では介護できないまでに育ってしまってからでは、誰にとっても不幸な結末しか有り得ない。
その意味で、「療法」という呼ばれ方は、不適当とは言いがたい。
そもそも、「それ」を負担させられない・負担できないから、なるべく苦しまずに死にたい・死んで欲しいというのもまた、自然な思考に思う。
まあ、犯罪に利用される可能性は決して少なくないので、法整備は慎重にすべきだが、少なくとも本人が明確な意思を持って選択する場合の安楽死くらいは早めに合法化して欲しいね。
既に人生折り返し地点を過ぎて、他人事じゃないだけに。