gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

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「武装難民」に対してどのように対応することができるのか 〜国際人道法の視点から〜(田上嘉一) - 個人 - Yahoo!ニュース

議論となった麻生発言
麻生副総理・財務相の発言が議論を呼んでいます。

麻生太郎副総理は23日、宇都宮市内での講演で、朝鮮半島から大量の難民が日本に押し寄せる可能性に触れたうえで、「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか。真剣に考えなければならない」と語った。
麻生氏はシリアやイラクの難民の事例を挙げ、「向こうから日本に難民が押し寄せてくる。動力のないボートだって潮流に乗って間違いなく漂着する。10万人単位をどこに収容するのか」と指摘。さらに「向こうは武装しているかもしれない」としたうえで「防衛出動」に言及した。
出典:朝日デジタル

この発言を受けて、インターネット上には、「常軌を逸する」「弁護の余地がない」などと批判の声が集まっているようです。
(中略)
武装難民」とは
ところで、この「武装難民」という言葉自体は聞き慣れませんが、インターネット上で検索したところ、2002年3月29日の「しんぶん赤旗」など過去にも用例はあり、国会の答弁でも出ているようです(2006年11月9日法務委員会・山田正彦議員の質問)。
武装難民」という言葉に、明確な定義があるわけではありませんが、おおよそのところ、「難民を装ってまたは難民に混じった戦闘員、脱走兵、ゲリラやテロリスト」であるか、もしくは、「明確な意思・目的を持たないものの、難民の中に混じっている武装集団」を指すと考えて良いでしょう。実際に、東ティモールソマリアイラクリビア南スーダンなどの紛争地域では、難民に混じって武装集団が難民キャンプに入り込んでいる事例は多く報告されています。
「戦争のルール」の枠組み
戦争のルールには大きく分けて2つの枠組みがあります。
まず、戦争自体の適法性や開戦等に関するルールを定める「国際法」があり、ラテン語では、「jus ad bellum(ユス・アド・ベルム)」といいます。具体的には国連憲章などがこれに当たります。
そして、実際に戦争が始まった場合における交戦法規として、「国際人道法」があります。こちらはラテン語で、「jus in bello(ユス・イン・ベロ)」といいます。
国際人道法は、さらに、戦争により生じる犠牲者を保護・救済するためのルールである「ジュネーブ法」と、戦争の手段・方法や武器の使用を制限するルールである「ハーグ法」にわかれます。

(中略)
ジュネーブ法における文民保護規定
さて、今回問題となるのは、「武装難民」が、国際人道法上、「戦闘員か文民か」というポイントです。
(中略)
ここでは、正規兵、民兵義勇兵、および武装集団の構成員でないものがすべて「文民」の対象に含まれるとされています。
(中略)
仮に朝鮮半島で戦争や武力紛争が起こり、そこから難民が大量に日本に押し寄せてきた場合、彼らは、ジュネーブ条約にもとづき文民として保護されることになるわけです。
(中略)
もっとも、保護を受ける条件としては、敵対行為に直接参加していないことが必要です(同3項)。敵国や占領国の安全にとり有害な行動、スパイ活動、破壊活動(サボタージュ)を行うと条約の保護の権利を失うことになります。たとえば、アメリカの占領下にあるイラクにおいては、一部の民間人が米に対する敵対行為を行っていますが、この場合当該民間人は条約による保護を受けず、占領軍によって拘束されたり、訴追されたりする可能性があります。
また、当該敵対行為を行う者に対し、自己防衛のために反撃することは、通常違法行為とはならないとされています。
(中略)
武装難民」への対応策は
ここで、問題となっている、「武装難民」ですが、仮にこれが「難民に偽装した戦闘員、脱走兵、ゲリラやテロリスト」を指しているとすれば、これはジュネーブ法が定める「文民」には該当せず、北朝鮮の国家としての意思を受けて、または戦闘集団として組織だって行動しているものだとすれば、場合によっては「国又は国に準じる者による戦闘行為」であるとして、これに対する自衛隊の防衛出動(自衛隊法第76条)も可能であると考えます。場合によっては「射殺」する事態も想定されます。
もっとも、「武装難民」が、そこまで組織だっておらず、単に武装したならず者の集団であった場合には少し話が変わってきます。この場合でも、日本国民に対する敵対行為に直接参加している場合には、上記同様、文民としての保護を受けないこととなります。しかし、「国又は国に準じる者による戦闘行為」ということが難しくなりますので、自衛隊による防衛出動の要件を満たさず、治安出動(同81条)か、海上警備行動(同82条)をとることとなるでしょう。当該集団の武装のレベルによっては警察による対応も可能かもしれません。
さらに、武装していたとしても、敵対行為に参加していないとすれば、文民として保護しなければならないこととなり、これに対して攻撃を加えることはできなくなります。この場合は「射殺」することは当然できません。
今回、麻生副総理が、このような問題提起をした事自体は、個人的には評価できることだと思います。政府の役割は、国民の生命・財産を守ることにあるのですから、あらゆる事態を想定して検討しておくことは必要です。可能性は決して高くはないと思いますが、戦場となった朝鮮半島から難民が大量に押し寄せ、たとえば対馬などにやってくることは、可能性として否定しきれないでしょう。その中に武装した集団がい紛れ込んでいた場合、現地の警察で対応可能なのか、自衛隊の出動が必要なのか、現地住民の安全をどう警護するのか。これらについて、「あり得ない事態なので検討しなくともよい」とする結論には賛同しかねます。
そして何よりも、麻生副総理のように政府の要職にある人物がこのようなことを考えることはとても重要です。このあたりの議論をきちんとしておかないと、結局は現場の指揮官や隊員にすべての責任を負わせることとなってしまうのです。緊急時において現場の自衛や海上保安庁の隊員が迷いなく状況に対応することができるようすることは不可欠です。最終的に現場の判断に委ねてしまうことは、シビリアン・コントロールの観点からも問題があります。有事の際の交戦法規など法整備を行っておくことは、我が国における急務であると考えます。

https://news.yahoo.co.jp/byline/tagamiyoshikazu/20170925-00076156/

日本の「上の方に居る連中」、特に雇われ経営者とか高級官僚とかは、「責任を負わない事」が最優先の行動原理になっており、結果的に「現場」に責任が押しつけられる事が稀に良くある。
上の方が、キチンと議論を経て「ここまでは我慢しろ、こっから先は俺が責任もってやる」と明確な線引きをして、現場に責任を押し付けず、迅速で明確な判断を下せるように整えるのが、「戦略」の部分に当たるので、とても重要。
この記事は、その点をきちんと指摘していて、判りやすい。