オタク文化の濫觴は別にコミケと言う訳ではないけど - Togetter
たった10年程度の過去ですら、容易に歴史を「組織的に」捻じ曲げてしまう人達が居る時代なので、誤った認識を、都度、正しく訂正して行く事は大切なのだが、それで「オラが先」を言い出しては本末転倒と言うか。
「ライトノベル」という言葉も含意が広すぎて、その定義が困難であると同様に、「オタク」という言葉も同様の問題を孕んでいる。
例えば、「ライトノベル史」を語る上で外せない「笹本祐一」という小説家が居るが、彼が「エリアル」を書く前にライトノベルと呼べるものが無かったのか、と言われればまったくそんな事は無い。
当時の朝日ソノラマ文庫には、ライトノベルの「はしり」と言えそうな作品は既に結構あった。
同様に、「オタク史」を語る上で、「コミケ」は絶対に外せない重要な存在であるが、コミケ開催前にオタク文化的なディープな集会が無かったのか、と言われればそんな事は無い。
文化人類学者辺りが、しっかりと「ライトノベル」とか「オタク」を定義すれば、一先ずそれを核にして議論出来るけど、現時点ではそーいう共通認識も無いので、GIRONすれば「グレーなふわっとした部分での叩きあい」になってしまう。
それは不毛なので、どうでも良いとしか。
いや、事実関係を明確にするために、議論する事自体は構わないが、やるなら、建設的にやって欲しい。
面白いのが、「ライトノベル」も「オタク」も、元々はネガティブな意味合いで使われた言葉である点。
むしろ「レッテル」とか「烙印」として使われた言葉であり、そんな言葉を「オラが先」で争う時代が来るというのは、良い時代になったものだよなぁ、と思う。
両方とも、含意が広く、「広い範囲をぶっ叩いていた言葉」という点でも共通しており、多分、80年代に「オタクバッシング」の際に、「キモイ」の一言でマスコミや
なお、「オタクバッシング」の以前から、女性オタは「身を隠す/擬態する」という行為が普通に行われており、マスコミや
その意味では、「オタク」という言葉自体は「男」に紐づいている、という主張は、割と同意したい。
ただ、「オタク文化」となった場合には、含意が広く変化する事も事実。