gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

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辛格浩ロッテ会長、文学徒から半世紀で40兆ウォンのグループに育成 中央日報

辛格浩(シン・キョクホ)会長は1940年代、無一文で日本に渡り、半世紀で40兆ウォンのグループを築いた。 90歳を目前にした現在でも‘青年・辛格浩’の熱情が感じられる。
辛格浩会長は今年88歳。 国内の上場企業代表取締役のうち最高齢CEOだ。 辛会長は現在も1カ月間隔で韓国と日本を行き来するシャトル経営をしている。
奇数月には韓国に滞在しながら、韓国ロッテの30余系列会社の経営現況について報告を受ける。 業務報告は朝早くから午後遅くまで一日に1−2社ずつ順に行われる。土曜日も例外ではない。
ロッテグループの関係者は「月別実績からマーケティング戦略まで細かく報告を受ける」とし「過去の各種数値を正確に記憶して質問するため、系列会社の代表はうろたえることも多い」と語った。
辛会長は22年10月4日、慶尚南道蔚山キョンサンナムド・ウルサン)で5男5女の長男として生まれた。 青年の辛格浩は42年、関釜連絡船に乗って日本に渡り、新聞・牛乳配達などをしながら文学徒の夢を抱いた。
早稲田大に通った辛会長は、日本人の友人の勧めでカッティングオイル生産工場を設立し、事業家の道に入った。 爆撃で工場は全焼したが、崩れた軍需工場で石けんを作って再起した。
辛会長の事業的な才能が表れ始めたのはこの時からだ。 米軍が駐屯しながらガムが人気を呼ぶと、辛会長はすぐにガム事業に飛び込んだ。 風船ガムは飛ぶように売れた。 こうしてにロッテが設立された。
辛会長が日本で成功を収められたのは誠実さと信頼感があったからだ。 創業の初期、辛会長の誠実な性格を信じて5万円を出資した日本人投資家は、稼働前に工場が爆撃で灰になっても辛会長を最後まで信じたという。当時、会社員の平均月給は80−100円程度だった。
辛会長はその投資家に借金を返すため全力を尽くし、1年半ですべて返済、感謝の気持ちで住宅1軒を贈った。 97年3月にオープンした釜山(プサンロッテワールドの開館式では、日本の元首相4人が韓国に来て一緒にテープカットを行った。 日本現地でも珍しいことで、辛会長の幅広い交遊が分かる。
67年に辛会長は韓国にロッテ製菓を設立し、母国への投資を始めた。 ロッテグループの関係者は「この時から日本で稼いだ金を韓国に投資し始めたが、韓国で稼いだ金を日本に持って行くことは一度もなかった」と述べた。 辛会長は韓国に進出する際、食品会社ではなく重化学会社の設立を希望していたという。
日本の工業化を見ながら将来性があると判断したのだ。 辛会長は石油化学事業を検討した後、政府に提示したが、LGグループが事業者に決定したため断念するしかなかった。 朴正煕(パク・ジョンヒ)元大統領の勧めで年産100万トン規模の製鉄所の建設を推進したが、これも韓国政府が後に「製鉄業は国家ですることにした」と伝えられ、あきらめた。
結局、実現したのはホテル業だった。 辛会長はあるインタビューで「ホテル業は利益を出すのが難しいが、韓国に一流ホテルがなかったので将来性があると考えた。 ホテル業について何も知らなかったので世界各国の一流ホテルを回って勉強し、日本の帝国ホテルをモデルにした」と述べた。 ここから辛会長が生涯守ってきた3つの経営原則を窺うことができる。
まず理解できない事業には手をつけず、可能性がある事業を始める時は徹底的に調査をしながら準備するということだ。 最後に事業に失敗しても誰も被害を受けない範囲で資金を借り入れるというのが辛会長の哲学だ。 ロッテグループの系列会社のうち非上場会社が多いのも「失敗した場合、株主に被害を与えたくない」という辛会長の信条のためだ。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=115108&servcode=300

ロッテが在日企業だと知ってから、割と好物だった雪見大福が食えなくなってしまった。
しかし、日本人投資家からは莫大な金額を「信頼して」投資してもらったのに、金持ちになったら「日本で稼いだ金を韓国に投資し始めたが、韓国で稼いだ金を日本に持って行くことは一度もなかった」という忘恩っぷりは、朝鮮人らしいとしか言いようがない。
あと、ホテル経営もさっさと日本のホテルをパクるあたり、在日企業の徹底的なパクり体質も伝統なんだなぁ、と。
さて、ちょっと怖い話。
この日本人投資家なんだけど、実際の所、この創業者から語られているだけで、"ハナミツ"という名前と、質屋だったという以外、具体的な情報が全く無かったりする。
当時の5万円といえば、現在の金額にすると1億円近い金額であり、当時学生であった上、警察打ちこわしや駅前一等地の不法占拠、強盗、殺人、強姦と、凶悪犯罪は一通り日本全土でやりまくったお陰で、当時最悪の評判だった(自称・戦勝国民の)朝鮮人にそれだけのお金を、ポンと貸し出したことが極めて「疑わしい」と、同胞である韓国人からも指摘されており、当時の朝鮮人の暴れっぷりを考えれば、非合法な手段で入手したお金ではなかったのかと言う黒い噂もあったりなかったり。
この他にも、戦後日本の物資が欠乏している中、原料の調達についても謎が多く、当時付き合いのあった暴力団「東声会」(当然、トップは朝鮮人)と、敗戦直後、闇市や商店に対する朝鮮人強盗多発と言う歴史的事実を重ね合わせれば…という黒い噂もある。
つまり、この頃から「在日特権」というより、日本人を暴力で食い物にしてのし上がって金持ちになったのが、今長者番付の上位に名前を連ねている在日朝鮮人と言う話。
…とりあえず、訴訟とかされると怖いからフィクションとしておくけど、少なくとも黒い噂があることだけはマジ。