gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

はてなダイアリーが更新できなくなったので、泣く泣くこちらに移行。使いづらいようなら、別なサービスへの引っ越しも検討する予定。元ダイアリー:http://d.hatena.ne.jp/gayuu_fujina/

【日曜経済講座】編集委員・田村秀男 デフレ不況と円高助長 - MSN産経ニュース

■お札を刷らない日銀
 ≪カネの価値アップ 国民はダウン≫
おカネの価値には2つの尺度がある。まずは物価、もうひとつは他国のカネとの交換レートである。物価が下がり続け、円高も進む日本のおカネはどちらの面からみても強い。これがデフレである。一見すると結構だが、これで私たち日本人の暮らしはよくなるだろうか。答えは以下の通り。おカネ持ちはますます豊かになり、持たざる者は一層困窮する。カネの価値が上がると国民の大多数が不幸になり、社会は閉塞(へいそく)する。
あなたの地元もそうだろう。商店街で空き店舗が目立ち、ゴーストタウンになる寸前だ。理由は、消費が減っているからである。
値打ちの上がるカネは使わないほうがよい。だから多くのかみさんが1円でも安いモノを買うために遠くまで出かける。おかげでお小遣いも減らされた。居酒屋さんに運ぶ足がすっかり重くなった。
対照的に、知り合いの初老カップルは所有ビルの賃貸収入のおかげで、連日のように都内のすし屋や高級レストランめぐり。2人とも輸入ブランドものをさりげなく身に着け、月に1度は海外ツアーに参加する。そこまで行かなくても、金融資産を多少なりとも持っている退職者の多くは、デフレに不平を言わない。
こうして有権者の多数が現状を容認するのだから、政治家は自公政権時代から一貫してデフレに鈍感であり続けた。ところが、あらゆる消費者の行動が合成される一国の経済全体で切り直すと、デフレは災厄をもたらす。
消費が不振なのだから、企業は価格を下げ、雇用を減らし、賃金をカットする。設備投資は先送りするので、雇用の場も生まれない。消費需要はますます減退する。物価はさらに下がる負の循環になる。1930年代の「大恐慌」からの脱出策を論じたJ・M・ケインズは「デフレは労働と企業の双方にとって貧困化を意味する」と断じた。日本ではこのデフレがもう10年以上も続いている。
 ≪鳩山政権も脱出意識欠如≫
鳩山由紀夫政権も自公政権と同じくデフレについてほとんど言及しない。代わりに育児支援、高速道路無料化など家計支援により個人消費を促し、おカネの裏付けのある需要(経済学用語では「有効需要」と呼ぶ)を喚起するという。前例のない内需拡大実験である。実施する価値は否定しないが、デフレ脱出という目的意識が欠如している。
カネの価値が経済実体から遊離して上がるデフレとは金融の錯乱である。中央銀行の役割が大きくなるのは当然だ。
グラフをみてもらいたい。米国の中央銀行である連邦準備制度理事会FRB)のドル資金と日銀の円資金の各供給量、さらに円の対ドル相場動向である。世界の通貨の基軸であるドルに対して円の発行量がはるかに少なくなれば、需給関係からみて円高になる。円高は輸出産業の収益を下げ、デフレをひどくする。
昨年9月の「リーマン・ショック」以降、FRBはドルの発行量を一挙に2倍以上も増やし、米国経済が「金欠病」に陥るのを防ごうとしてきた。平時なら悪性インフレを招く禁じ手なのだが、日本円換算で1000兆円相当の金額が金融市場から消えたのだから、金融の最後のよりどころであるFRBがドル札を新規に大量発行してばらまくのは理にかなっている。
 ≪かたくなに量的緩和拒否≫
日銀は、平時の政策にちょっぴり味付けしただけだった。資金繰りに困った企業からCP(コマーシャル・ペーパー)と呼ばれる債務証書を買い付けてきた。ところが日銀資金の発行量は今年9月末で前年比5%強しか増やしていない。余っている設備や労働を動かすためのカネが回らない。カネの流れを仲介する銀行など金融機関は民間に貸そうとしないので、不況がひどくなる。その金融機関に日銀が資金を流し込めば、金融機関は有り余るカネを放出せざるをえなくなる。これが量的緩和と呼ばれる政策なのだが、日銀はかたくなに拒否する。
日銀の白川方明(まさあき)総裁は物価下落が激しくなっているのに、デフレではないと言い続ける。揚げ句の果てにCP買い上げの打ち切りなど「出口戦略」までも口にする。雇用に配慮するのも中央銀行の使命という国際常識が欠如している。
鳩山政権は財政と連動して日銀の金融政策を機能させない限り、公約通り国民生活をよくはできないだろう。

http://sankei.jp.msn.com/economy/finance/091011/fnc0910110846000-n1.htm

日本人の不幸は、国民が政治に無関心であり、マスコミや国もその状況を維持しようとしていると言う点だと思う。
日本は、90年代にバブルが弾けるまで、高い成長率や毎年上がり続ける給料と言う「ゲタ」があったから、貯蓄が多くても高い利率を維持して資産の目減りを最小限にしながら蓄財する事が出来た。
しかし、バブルは崩壊する。
ゼロ金利政策により、貯蓄しても資産は増えない、物価が上がれば上がっただけ資産が目減りする状況になった。
バブル崩壊後、日本には大きく2つの道があった。
1.デフレさせてでも物価の上昇を食い止め、国民生活を維持する道。
2.インフレさせて貯蓄された莫大な資金を国内に吐き出させ、景気浮揚を図る道。
前者は、記事にあるとおり緩慢に死に至る道であるが、直近で不満が表面化しないし、莫大な貯蓄資産がある限り、問題を先延ばしできる。
後者は、成功すれば再びバブル期とまでは行かなくとも、高い確率で経済の再活性が行われ、新しい産業、新しい雇用が生じて経済が再稼動する。ただし、失敗すれば高度経済成長期に稼いだ資金すら失ってしまい、物価の上昇は間違いなく国民の不満を呼び、短期的には政権維持に問題が生じる。
日本では「責任を取らないのが公務員と政治家の資質」「何もしない政権が良い政権」という恐ろしい常識が蔓延しており、当時の政権(自民党)が前者を選択したのは、もはや必然といえるだろう。
それからずっとデフレ政策がほぼ20年に亘って行われ、1世代25年というスパンの過半が過ぎ、問題が顕在化してきた、というのが現在の状況。
デフレはともかく、インフレというとまるで巨悪のように日本では教えられるが、インフレもデフレもメリットデメリット共にある「経済の状態」でしかない。
今までは、デフレのメリット(持ってる資産が目減りしない)を享受する人が有権者に多かった。しかし、いまやデフレのデメリット(経済が低迷する悪循環)による被害者が、有権者の中に激増している。
にもかかわらず、政府が重い腰を上げないのは「平均余命を考えると、あと15〜20年は高度経済成長期世代の富裕層が有権者」なので、若い世代の投票率の低さ、年齢が上の世代ほど投票率が高く、マスコミに拠る情報誘導が容易と言う性質から、その得票比率が逆転するまで、インフレ政策を取る事は支持率を失う事と同義な為である。
ついでに、日本の教育によってインフレは巨悪だという常識があるため、本来それで救われるはずの若い世代もインフレ直後は「金がないのに物価が上がる」という状況に多大な不満を感じるはずである。
インフレならば、時間経過と共に、給与も物価に追いついて増えていくのだが、当然、時間差がある。
バブル崩壊直後なら、国民全体が裕福で貯蓄もあったから、そうしたインフレと昇給の間の時間差に耐えるだけの体力があったが、今は三〇代後半から二〇代の「働き盛り世代」に、その体力(貯蓄)が無い。
インフレが始まれば、自分も含めて生活が苦しくなる人は、洒落や冗談抜きで激増する事になるだろう。
これは、間違いなく、支持率低下を引き起こす。
結果として、「政権維持」を最優先にする限りにおいて、インフレ容認は無理という結論で終わる。
経済を俯瞰して見れば、この期に及んでデフレ政策に固執する事は愚策(政府は認めてないけど、ずっとデフレスパイラルなのは確実なんだし)でしか無いが、経済とは別の次元でデフレ政策以外の選択肢がないし、個人レベルの経済において、インフレは短期的に困窮を招く。
国民がもう少し政治と経済に興味と知識が合って、デフレとインフレのメリットデメリットを理解した上で、今の政府にNo!と言えるなら話は別なんだけど。
ちなみに、インフレにすれば全てが解決って話でもない。
まず、インフレに拠る相対的貯蓄資産価値の下落は、預金以外の資産運用を考えない老人世代の生活を直撃し、ただ徒に預金をすり減らさせ、あっさりと困窮させる。
…医療、年金共に過剰医療・払い戻し過多の状態を考えれば、自分の資産運用くらい自力でやれという話なんだけど、同時にソコで動く莫大な資金狙いで詐欺が横行するだろうし、銀行や郵便局に預けるだけ、リスクゼロでぬくぬく資産を増やしてきた世代に、自己責任のリスクを負えというのも、無茶な話ではある。
また、貯蓄資産の多くが高い利回りを求めて株式投資や融資に向かうだろうけれど、グローバル化された経済状況において、それらが全て国内企業に行く訳でもなければ、国内投資に回るとも限らない。
鳩山のCO2の25%削減のように、国内から製造業や設備投資を逃がすような政策をそのままにすれば、海外に投資が行われるだけで、日本国内の景気は良くならないのだ。
あくまでも、国内の景気浮揚政策とセットで行われなければ、意味が無い。
国内の景気が良くならなければ、単に物価上昇が国民の財布を直撃するだけに終わる。
正直、コレについては今の鳩山政権も、責任回避の経験しか無い自民党政権(プラス官僚組織)でも、極めて困難と言うか、成功率に大差は無いんじゃないかと言うのが本音だったり。