gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

はてなダイアリーが更新できなくなったので、泣く泣くこちらに移行。使いづらいようなら、別なサービスへの引っ越しも検討する予定。元ダイアリー:http://d.hatena.ne.jp/gayuu_fujina/

安倍新政権に立ちはだかる「核廃棄物」の壁:日経ビジネスオンライン

(前略)
田坂:実は、原子力のバックエンド問題の専門家の立場から見るならば、「原発ゼロ社会」というのは、現状では、目指すか目指さないかという「政策的な選択」の問題ではなく、避けがたく到来してしまう「不可避の現実」だからです。
(中略)
このことは、「脱原発」か「原発推進」かに関わらず動かすことのできない「冷厳な事実」なのです。
私自身は、原子力のバックエンド問題の専門家の立場から「原発推進」に20年間携わってきた人間ですが、その専門家として私が提言すべきことは、どの政権に対しても変わりません。
(中略)
昔から指摘されていることですが、「核廃棄物の最終処分」の方策を見出さないかぎり、原発は「ゴミの捨て場が無い」というだけの理由で、いずれ、止めざるを得なくなるからです。
実際、全国の原発サイトの「使用済み核燃料貯蔵プール」は、もし原発を順調に再稼働できても、平均6年で満杯になる状況にあり、青森県六ヶ所村の再処理工場の核燃料貯蔵プールも、すでに満杯近くなっています。
(中略)
田坂:昨年9月11日、日本学術会議内閣府原子力委員会に対して、「地層処分の10万年の安全は、現在の科学では証明できないため、我が国において、地層処分は実施すべきではない」と明確に提言したからです。
我が国の学界の最高権威である日本学術会議が、政府に対して正式にこの提言をしたことの意味は、極めて重い。
なぜなら、安倍新政権が、もし、従来通りの政策に従って「地層処分」を進めるとすれば、この学術会議の提言に対して、「10万年の安全」を説明する責任を負うことになったからです。
(中略)
田坂:「長期貯蔵」の政策に切り替えるに伴って、使用済み核燃料の発生量の「総量規制」を行うべきでしょう。このことは、学術会議も提言しています。
すなわち、「捨て場の無いゴミ」を無制限に発生させるのではなく、その「発生総量の上限」を定めるべきです。これが第三の政策です。
これは、実は、改めて論じるまでもないことなのです。そもそも、世の中に様々な産業がありますが、廃棄物の最終処分の方策を確立せずに操業している産業は、実は、原子力産業だけだということに気がつくべきでしょう。
(中略)
田坂:今後、どこまで、使用済み核燃料の発生を認めるかによって、すなわち、その「発生総量の上限」をどこに定めるかによって、原発の「稼働年限」が決まってきます。
(中略)
田坂:その「長期貯蔵施設」を、どこに設置するか。それが、これから大問題となります
(中略)
この問題には即効的な解決策は無いのですが、まず、政府として行うべきことは明確です。
(中略)
田坂:「すべての都道府県が、過去に恩恵に浴した原発電力量に相当する使用済み核燃料の長期貯蔵を引き受ける」という法律を検討すべきでしょう。
(中略)
田坂:そうした法律が実際に成立するか否かは、難しい問題ですが、まず、すべての国民が、この問題を「自分たち一人ひとりの問題」として真剣に考える状況を生み出すことが、政府の役割として重要でしょう。
(中略)
これまでの原子力政策は、「原子力村が、密室で進めてきた」という批判がある一方で、国民の側にも、「政府と電力会社に任せておけば、原発の問題も、うまくやってくれる」という無意識の依存心理があったのも事実だからです。
すなわち、これから原発問題やエネルギー問題を正しく解決していくためには、まず、国民全体が、こうした「依存型民主主義」の意識を脱し、国民一人ひとりが、この問題を「自らの問題」として受け止め、議論し、政策決定に参画していく「参加型民主主義」の意識へと成熟していくことが求められているのです
(後略)

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20130117/242366/

これは良い記事。
…惜しむらくは、記者のセンスがなくて、タイトルで安倍政権の問題に摩り替えてしまっている点。
根本的に抱える原子力発電に伴う廃棄物処理と言う、以前から指摘されつつも、目を逸らしてきた問題を、「国民全体で自分の問題として理解すべき」というお話。
閑話休題
とはいえ、ゆとり以前の問題として、「和を持って尊しとなす」談合文化の日本は、議論に必要なテクニックを義務教育から取り入れてこなかったお陰で、老人から若者に至るまで、議論という「意見のすり合わせ」が出来ないというのは、割と致命的な障害なんじゃないかと思ったり。*1
結局、談合という仕組みで話がまとまる人数、少数の権力者が密室で話を決めてしまうやり方が改まらないのは、教育の時点でアレだからではないかと言う説。
となれば、全国に蔓延する「フクシマをゴミ捨て場にしてしまえ」という潜在的かつ本音全開の押し付けが、無言の圧力となって決まってしまうんじゃないかと言う、非常に嫌な予感しかしない…。

*1:だから声のデカイ奴が基本的に利益を得る状況