gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

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習近平主席、中国人民解放軍の5つの「戦区」発足宣言 「各戦区には平和を維持し、戦争に勝つ使命がある」と訓示 : 大艦巨砲主義!

【北京=矢板明夫】中国国営中央テレビ(CCTV)によると、中国人民解放軍戦区成立大会が1日、北京で行われ、習近平国家主席(中央軍事委員会主席兼務)が新しく発足した東部、西部、南部、北部、中部の五つの戦区の司令官と政治委員に軍旗を授与した。習主席は「各戦区には平和を維持し、戦争に勝つ使命がある」と訓示した。
中国人民解放軍はこれまで、北京、瀋陽、蘭州、済南、成都、南京、広州の7つの軍区があった。習指導部による軍改革の一環で5つに統合され、名称も軍区から戦区に変更された。反腐敗キャンペーンで昨年までに胡錦濤時代を支えた郭伯雄徐才厚の両制服組トップが失脚したため、習指導部は軍内の組織再編を通じて軍の掌握を進めたい思惑があるといわれる。
軍関係者によると、新しく成立した東部戦区(本部南京)は日本や台湾方面をの有事を備え、南部戦区(本部広州)は南シナ海シーレーンの安全を守ることが主な戦力目標。北部戦区(本部瀋陽)は主にロシアと北朝鮮方面で軍事衝突などが起きることを想定しており、西部戦区(本部蘭州)中央アジアなどのイスラム過激派のテロ活動などに備える。中央部戦区(本部北京)は首都周辺の安全を守るためにあるという。
この日発表された戦区の区分けと本部所在地は昨年まで伝えられたものはかなり違っており、区分けの際に軍現場で激しい主導権争いがあった可能性もある。

http://www.sankei.com/world/news/160201/wor1602010037-n1.html

地図と照らし合わせると判りやすいのだが、
東部戦区は、ほぼ南京軍区のまま。
西部戦区は、ほぼ蘭州と成都を合わせた地域。
南部戦区は、成都の南下側と広州の一部を合わせた地域。
北部戦区は、北京、済南、瀋陽と広州の北部を合わせた地域。
中央戦区は、済南、南京、広州から一部ずつ合わせた地域。
つまり、今回の再編は7軍区から5軍戦区だが、実際には瀋陽と済南と広州の3つの軍区が消滅している。
しかも、その各戦区のトップ人事はというと、こちらの方のブログをみると
参考:中国人民解放軍、七つの軍区から五つの「戦区」へ   宮崎正広 | 杜父魚文庫ブログ

(前略)
東部司令員の劉澳軍は蘭州軍区司令員だった。北部司令員の宋普選は北京軍区から、南部司令員の王教成は瀋陽軍区から。西部の越司令員は済南軍区司令員から、中部戦区の司令員となった韓衛だけが北京軍区副司令からの栄転である。
注目は、南京軍区司令員の蔡英挺だ。
蔡だけが「信任」のポストの発表がないことで(2月2日現在)、習近平がもっとも信頼する軍人と言われるだけに、もっとパワフルな新任ポストが用意されているのではないかと事情通はいう。
(後略)

とある。
つまり、
東部戦区は南京軍区とほぼ変わらない軍を掌握するのに、そのトップは蘭州軍区の司令員が収まり、
西部戦区は北部軍区として統合・消滅した済南軍区の司令員がトップとなり、
南部戦区は成都と広州軍区の寄せ集めにも拘らず、これまた北部軍区として統合・消滅した瀋陽軍区の司令員がトップとなり、
北部戦区は、北京、済南、瀋陽、広州の中では順当に中央である北京軍区から選出
中央戦区は、北京軍区副司令からの登用。
簡単に言えば、階級はそのままに、軍区トップと地元の軍を引き離した訳である。
統廃合された軍区と軍区トップの人事を見る限り、消滅した3つの軍区の内、済南と広州だけが、司令員が再登用されず、済南は中央と東部、広州は南部と中央と東部に分割されてしまっている。
ニュースを追ってみると、済南と広州軍区の司令員は、別なポスト(副指令っぽいの)には就いているようだから、所謂粛清とか物騒な話ではないと思うけれど、政争と言う観点ではやっぱり負けてるっポイ。
…しかし、何と言うか、かなり強引な「新体制」だと思う。
これが、先進的民主国家の国軍なら、地域司令官の配置換えをしても、普通に仕事は回るだろうけれど、人治主義で独裁共産国家の、党軍という名の軍閥寄せ集めであった中国人民解放軍が、ここまで内部人事をかき回されて、どれだけの混乱が起きるのか…。
全く無関係な地球の裏側の話なら、wktkで済むんだけど、隣国の、それも侵略圧力を掛けられている国としては、手綱が緩んでドンパチ開始とかマジ止めて欲しい所である。