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金魚電話ボックス訴訟 「作品に同一性なし」請求棄却 - 産経ニュース

金魚電話ボックス訴訟 「作品に同一性なし」請求棄却 - 産経ニュース

水で満たされた電話ボックスに数十匹の金魚が泳ぐオブジェ「金魚電話ボックス」が自身の作品に酷似しており、著作権を侵害されたとして、福島県いわき市の現代美術作家、山本伸樹さん(63)がオブジェを設置した奈良県大和郡山市の郡山柳町商店街協同組合を相手取り、330万円の損害賠償などを求めた訴訟の判決が11日、奈良地裁であった。島岡大雄裁判長は「商店街側の作品から原告作品を直接感得することはできず、同一性を認めることはできない」として請求を棄却した。山本さんは控訴する意向。
判決などによると、山本さんは平成10年、電話ボックスに金魚を泳がせた作品「メッセージ」を発表。一方、同組合は京都造形芸術大(京都市)の学生グループが発表したオブジェを譲り受け、26年に商店街に設置した。山本さんは「外観はほぼ同じで、仕組みなども一致している」と主張したが、島岡裁判長は判決理由で「発想は独創的だが、アイデアに他ならず著作権法上の保護対象ではない」などと退けた。
組合側はトラブルを避けるため昨年4月にオブジェを撤去した。判決を受け、奈良市内で会見した山本さんは「非常に落胆している。主張に近い結論が出るよう頑張っていくしかない」と述べた。

https://www.sankei.com/affairs/news/190711/afr1907110012-n1.html

当然の結果。
元々、この自称・現代美術作家が、勝手にやってきて「(俺の作品として)手直しもやってやる(から、俺の作品として展示・維持しろ)」とか言い出す出来だった訳で、この時点で「作品として、別物」という解釈が成り立つ。*1
元々「電話ボックスを水槽にする」というアイディア自体も、珍しい物ではなく、この人が確認する限り初めてってだけで、それは単なるアイディアの「初」でしかない。
んで、「外観はほぼ同じで、仕組みなども一致している」と言われても、そりゃ「電話ボックス」という工業製品を「水槽」という目的で転用すれば、同じ形状、同じ仕組みになるのは当たり前だし。
関連:奈良・金魚電話ボックス撤去に関して、著作を主張する作家から見た顛末 - Togetter
※余談だが、コメント欄が当時より伸びてて、まとめ主がフルボッコされてた。
まとめ主が、自称・現代芸術作家寄りなので、まとめとして微妙だけど、元々の金魚電話ボックスを作成した京都造形芸術大学側も、作った段階で自称・現代現代芸術から抗議を受けていたが、「著作権侵害ではない」と否定しつつ、これを商店街へ譲渡している。
そこで何故か、自称・現代芸術作家は矛先を(芸術に対して素人である)商店街へと向け、「自腹で手直ししてやるから、俺の作品として展示・維持しろ」と持ちかけた。
最初は、商店街側もそれに同調する方向でまとまりそうだったけれど、多分、大元の京都造形芸術大学から、「そもそも著作権侵害ではない」「後付けで(他人が作ったものを氏の)作品として認めてしまうと、面倒な事になる」と知らされて、商店街の一存で処分できるうちに、さっさと処分してしまったんじゃないかと思う。
実際、廃棄しても面倒な事になってる訳で、そもそも関わったのが不幸ってレベルになりつつある。
現代芸術ってのは、「既にある物」を加工して、自分の作品とする事例が非常に多い。
既存のモノやデザインを勝手に加工する以上、その「加工」に込めた作者の「意図」が、単なる工業製品や他人のデザインを「現代芸術」にする訳で、布を裂いて作った「現代芸術」と、子供が癇癪を起して引き裂いた布きれとの違いは、そこにしかない。
今回、成果物に込めた「意図」がそもそも違っていて、作者自ら「手直し」が必要と言うぐらい「違っていた」のだから、後に残るは「電話ボックスを水槽にする」というアイディアだけになる。
そして、アイディアは著作権として保護されない。
だから、地裁が「アイデアに他ならず著作権法上の保護対象ではない」と返すのは、もう当然だとしか。
いっそ、「こんな事、キチガイでもなきゃ思いつかねぇよ!」というぐらい、独創性があったなら、「同一性を認める」という判決もあっただろうけれど、既にある箱状の工業製品を、水槽に転用する…とか、誰でも思いつく程度のアイディアで、そこにあるのは「思いついたのが、早いか遅いか」だしね…。

*1:手直ししなければ、氏の作品として認められない出来なのだから、当然である