【神隠し公判】「残虐極まりないとまではいえない」無期懲役判決の理由 - MSN産経ニュース
東京都江東区のマンションで会社員の東城瑠理香さん=当時(23)=が殺害されバラバラにされた事件の判決公判で、東京地裁の平出喜一裁判長は星島貴徳被告(34)に無期懲役判決を言い渡した理由について、「犯行は冷酷だが、残虐極まりないとはいえない」と述べた。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090218/trl0902181056006-n1.htm
平出裁判長は星島被告の動機について「女性を思い通りの人格に作り上げ、ゆがんだ性的欲望のため『性奴隷』にしようとして被害者を拉致した」と認定。「事件の発覚を防ぐには被害者の存在自体を消してしまうしかないと考えての犯行。極めて自己中心的で卑劣、酌量の余地はない」と非難した。
平出裁判長は、その上で、死刑を言い渡すには「相当強い悪質性が認められることが必要となる」と指摘。星島被告の犯行について「抵抗できない状態の被害者に包丁を1回突き刺した犯行は冷酷だが、執拗(しつよう)な攻撃を加えたものではなく残虐極まりないとまではいえない」と述べた。死体損壊・遺棄については、「量刑に十分考慮するべきだが、被告が死刑を求刑されているのは殺人罪に問われたからだ。死体損壊などの行為を、殺害行為に比べて過大に評価することはできない」とした。
また、(1)事前に殺害のための凶器を用意していたわけではなく計画された犯行とはいえない(2)拉致した後に当初の目的だったわいせつ行為はしていない(3)一貫して事実を認め、謝罪の態度を見せている−などの事情もあげて、無期懲役を選択した。
公判で検察側は、肉片の写真や、マネキンを使った遺体切断時の再現画像を法廷の大型モニターに映し出す異例の立証を行うことで、星島被告の犯行の特異性・残虐性を強調した。だが、あまりの生々しさに耐えきれなくなった遺族が退廷したほか、顔を背ける傍聴人も続出した。このため、検察側の手法は物議を醸した。
判決によると、星島被告は昨年4月18日夜、東城さん宅に侵入し、わいせつ目的で自室に連れ込んで包丁で刺して殺害。遺体をノコギリや包丁で解体し、翌月1日ごろまでに、自室のトイレに流したり、別のマンションのゴミ置き場に捨てるなどした。
極めて身勝手な理由で拉致監禁、バレを恐れて無抵抗の相手を殺害する卑劣で残忍な行為が「残虐極まりないとはいえない」と言うんだから、この平出喜一裁判長には、どれだけの事をやったら「残虐極まりない行為」に相当するのか、微に入り細に入り定義して欲しいところだ。
人を殺したら死刑でいいだろう、と言う感情論で死刑を望む事は愚かで個人的価値観の押し付けだと言うけれど、一人殺したくらいで死刑は重過ぎる、という理性的(笑)な判断も感情論で個人的価値観の押し付けじゃないのかと。
殺人は最高死刑が求刑出来るのにもかかわらず、「初犯」で「殺害数1」なら「死刑にはならない」という「妥当性」が、裁判官の個人的判断の結果である「判例」の積み重ねが根拠でしか無いというのに。
「本来は有期懲役レベル。事件の知名度から無期懲役となった。重い判決」というのが日本の司法における、この事件の標準的な量刑だという話があって、絶望的な気分になる。
日本では、殺されてしまえば数人分の死を積み重ねなければ、生き残った殺人犯の命と等価にならない。
まさに、殺され損。
司法が自ら積み重ねてきた「判例」という結果に自縄自縛されて、一般市民の感覚から乖離している現状は、本末転倒だと思う。
法の解釈について一貫性を重視する理屈もわかるが、法は、「今を生きている人」の為にあり、過去の判例はあくまでも「参考」でしか無いはずなのに、金科玉条のごとき絶対価値となっているのは変な話だ。
刑法には、
刑法 第二十六章 殺人の罪
第199条(殺人)
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
と書いてあるだけで、一人殺しただけなら死刑にならない、なんてどこにも書いてないんだけどね。
関連:星島の無期懲役にモノ申す -探偵ファイル- (ショッキングな写真があるので、閲覧注意)