gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

はてなダイアリーが更新できなくなったので、泣く泣くこちらに移行。使いづらいようなら、別なサービスへの引っ越しも検討する予定。元ダイアリー:http://d.hatena.ne.jp/gayuu_fujina/

外国人記者が見た「この国のメンタリティ」 「優しすぎる日本人へ」  | 経済の死角 | 現代ビジネス 講談社

(前略)
■なぜ、おかしいと言わないのか
地震発生から数日後、国民の不安と疲れはピークに達していたが、その時によく聞かれたのが、「枝野幸男官房長官は100時間寝てないんだ。彼も頑張っているんだから『仕方がない』」といった言葉だ。
日本人はこの言葉で政府への不満を押し殺していたように思えるが、とりあえず寝ないで頑張る姿を見せていれば、国民やメディアは納得するのか、と海外記者たちは一様に驚いたに違いない。客観的に見れば、パリー氏が言うように政府の対応には問題があり、もっと声を上げるのが当然だろう。
「日本人は常に地震に備えて訓練をしてきた。それが被害を最小限にとどめたことは間違いなく、本当に素晴らしいことだ」と語ってくれた韓国・中央日報のキム・ヒョンキ支社長も、日本政府の対応について意見を聞くと「大変な問題があった」と鋭く指摘する。
「今回の地震対応で、菅総理はほとんどリーダーシップを発揮しなかった。もっと迅速に対応できたはずだが、自分自身で決断できないために、支援体制を整えるのが遅くなったのではないか。さらに、国民へのメッセージも不十分。関東地方は電力不足に見舞われていますが、ひとりひとりの努力のおかげで、停電が避けられている。これに対して、ひとこと『国民の皆さんのおかげです。ありがとう』と謝辞を述べるべきなのに、菅総理はずっと自分のことだけを話していたのではないでしょうか」
「ありとあらゆる手を打っている」「命がけで取り組む」「私の陣頭指揮のもとで」---。菅総理の言葉は、たしかに国民に向けたものではない。謝辞も言えない首相を、なぜ国民は許しているのか。外国人記者の厳しい目は、おそらく日本国民にも向けられている。
 キム氏はさらにこう続ける。
報道も通り一遍のものが多い気がします。被災地の取材でも『頑張りましょう』という声ばかりで、政府の対応を批判するような被災地の声は、あまり報じられなかったのではないか。日本には『他人に迷惑をかけるな』という文化がありますが、この文化のおかげで、確かに大きな混乱は起こりませんでした。これは良いことだと思いますが、一方でこの文化のせいで、おかしいと言うべきところをおかしいと言えない空気を作り出しているのかもしれませんね」
確かに、冷静に考えれば政府の対応をはじめ、今回の地震では「おかしい」と思えることが少なくなかったはずである。しかし、日本国民は「仕方がない」と我慢しているのか、あるいは政府も被害者だと同情してしまったのか、なにも声を上げようとしない。
特に原発問題について、外国人記者は率直に「日本政府の対応には問題があるし、日本政府の情報は信用できない。それなのに、日本人は政府を非難しようともしない」と疑問を呈する。
福島第一原発からそう遠くない福島県郡山市で取材を行っていたイギリス人の新聞記者、ロバート・メンディック氏も、
原発から離れており、日本政府が『ここまでは被害が及ばない』と宣言している場所だったが、できれば長居はしたくなかった。私たちは日本政府が発表する原発情報より、やはりイギリス政府から発表される情報のほうをより信じていました。私がもし日本に住んでいたら、家族のことを考えて一緒に避難していたでしょうね」
と日本政府への不信感があったと明かす。
さらに前出のアンドリュー・ギリガン氏は「日本政府の発表する情報は後出しばかりで不明瞭だった。それも内容がコロコロ変わっていた」と指摘したうえで、こう続ける。
イギリスであれば、メディアが政府に情報公開をするよう強い圧力を掛けていただろうし、大臣クラスが何人も辞任していておかしくない事故だ。例を出すなら、イギリスでも10年ほど前、タンクローリーの運転手たちが数日間にわたるストを行い、石油の供給がストップしたことがあった。
たった数日のことなのに、店が全部閉まった。これが引き金となって首相の退陣を求める声が高まったが、言うまでもなく日本ではそれ以上のことが起きているのに閣僚は誰も辞めようともしないし、きちんとした説明をしようともしない。

欧米と比べると国民と政府・政治家の間にいい意味での緊張関係がないのだろう。日本の政治家は命拾いしたのではないか」
古い情報を小出しにし、明確な説明を避けるかのような枝野官房長官の姿勢は、自分の国ではあり得ないことだ---。海外の記者は口々にそう言うが、おそらく彼らからすれば、そんな姿勢を許してしまっている日本のメディア、ひいては国民の姿も奇妙に映っていることだろう。
■どうして許してしまうのか
ほとんどの外国人記者が日本政府の原発情報を信じなかった〔PHOTO〕gettyimages ニューヨークタイムズ東京支局長のマーティン・ファックラー氏は、政府の原発対応と同じく、東京電力の対応にも問題があったと見ている。
原発にトラブルが発生してからの東電の対応には、間違いがたくさんあったのではないでしょうか。東電には中央省庁から天下った役人が多くいるため、官僚的な体質になっているのでしょう。
誰も責任をとろうとせず、誰も誠意のある情報開示をしない。'55年体制下の日本では、こうした場面がよく見られましたが、今回はその最悪のケースを見ているようでした。
アメリカであればメディアやNGOが、ここまで無責任な企業を許していないでしょうが、不思議と日本のメディアや国民の多くは、東電の責任追及を行う気がないようにも見えますね」
政府や東電の対応の遅さが原発被害の拡大を招いた以上、これは天災ではなく人災である。それを政府も東電も「想定外の災害だったから」の一言で片づけようとしている。他国であれば決して許されることのない強引な論理を、日本人はなぜ許してしまうのか。なぜもっと不満の声を上げないのか---。海外メディアの記者たちは、その「優しさ」と「仕方がないの精神」に驚くと同時に、戸惑っているようにも見えた。
地震に見舞われた日本の惨状と、その惨状に耐える日本人の姿を海外メディアが報じることで、世界中が日本に支援の手を差し伸べていることは事実だ。前出の中国人記者が「中国のネットでこんな書き込みがありました。
『もし日本と中国が戦争になれば、私は最前線で戦う。しかし、日本が災害に見舞われたときは、最前線で彼らを救いたい』と。
中国国民の多くは、なんとか日本を支援する方法はないかと真剣に考えています」と説明するように、世界の国々は日本のことを本当に心配してくれている。
しかし、彼らは温かい手を差し出す一方で、厳しい視線を日本に向けていることも事実だ。そして彼らは同時にこうも思っている。本当は日本国民自らが上げなければいけない声を、なぜ海外メディアが代弁しなくてはならないのか、と。私たちはこのまま「優しすぎる日本人」で居続けていいのだろうか。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2372?page=3

自分は政府に対して怒ってるし、許すつもりも無いし、今すぐにでもミンス政権は解散総選挙すべきだと思うし、もう二度とミンス党政権に集った無能政治屋どもには投票せず、公職に付かせないべきだと思っている。
…でも、困った事にこう言う意見は少数派なんだよね。日本では。
選挙前に、候補者のプロフィールを調べる程度の手間さえかけない有権者が大多数なんだから。
結局の所、国民が民主主義に対して「域に達していない」という状態だから、選ばれる政治屋は、相応なクズばかりとなる。
正直、未だに都知事選で石原が最有力候補だという事実に、暗澹たる気分しか無い。