gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

はてなダイアリーが更新できなくなったので、泣く泣くこちらに移行。使いづらいようなら、別なサービスへの引っ越しも検討する予定。元ダイアリー:http://d.hatena.ne.jp/gayuu_fujina/

日産ダットサンベビー復元 子ども免許で30万人が運転:朝日新聞デジタル

専用の免許で子どもが運転する本物の自動車が50年前に実在した。こどもの国(横浜市青葉区、東京都町田市)を走っていた「ダットサンベビー」だ。園内に残っていた最後の1台を日産自動車の社員らが復元。28日から日産グローバル本社ギャラリー(横浜市西区高島1丁目)で一般公開される。
ブルン。ブル、ブル、ブル……。軽いエンジン音を立てて、赤くて小さな、丸っこい車体がゆっくりと動き出した。「排ガス、懐かしいにおいがする」。14日、神奈川県厚木市の日産テクニカルセンター。動いた車を、復元に携わった約20人が笑顔で見守った。
こどもの国によると、開園した1965年から73年まで、ダットサンベビーはアトラクションの一つだった。死亡事故が多発し、「交通戦争」と言われた時代。「子どもを事故から守るため、未来の運転者になる子どもに早くから交通教育を」との願いを込めてつくった。
車は2人乗りのオートマチック車。子どもは運転免許を持つ大人の運転で乗車するほか、「免許証」を取得すれば小学5年〜中学3年は1人で運転できた。
併設の「交通訓練センター」で交通法規や車の構造を学び、指導員の同乗でS字コースなどを走った後、専用コースを1周する「実技試験」を受ける。約4万5千人が免許を取った。
車は日産が寄付した。提携していた愛知機械工業(本社・名古屋市)が生産した軽自動車「コニー・グッピー」がベース。全長2・96メートル、幅1・42メートルの2人乗りの車体を大きなバンパーがぐるりと囲む。時速20キロ以上でクラクションのようなブザーが鳴り、30キロになるとエンジンが止まる。

http://www.asahi.com/articles/ASH3K3C6NH3KULOB002.html

今の感覚で言えば、なんとも「贅沢」な話であり、夢のある話でもある。
当時は、カートの様なホビー用小型自動車なんてのも無かったから仕方ないとはいえ、ゼロからの新造ではなく、「コニー・グッピー」をベースに改造とはいえ、ティーデザインは完全に一新され、「こどもの国」向けに105台もの量産を行ったわけである。
しかも、ボティーデザインは後にフェアレディZをデザインした松尾良彦氏が、「子どもに夢を与えるミニスポーツカー」というコンセプトで本気でデザインした訳で、実際、車体はデォフォルメされてはいるが、美しい流線型のスポーツタイプであり、現代の目から見ても十分に魅力を感じられる。
ちなみに…別記事ではあるが

(前略)
これを当時、日産は100台(試作車を含めると105台)を受け渡している。1台あたりのコストは30万円。さらに、コースに1200万円、「こども自動車学校」と同「修理工場」に5000万円の建設費用を含めて、総額1億7000万円かかっている。かなり大規模な事業だと思うが?
大変な投資だ。いまでは考えられない。新車価格として、当時の30万円はけっして安くない。100台用意するとは、かなりの太っ腹だ」
(後略)

http://diamond.jp/articles/-/53131?page=7

ですよねー。
ちなみに、今から50年前は、今と円の価値が15〜20倍ぐらい差がある。
当時の30万は、今でいうと600万円。
100台しか生産していないカスタムカーと考えれば、大体妥当かなぁ、というお値段。
全体の投資額としては、今の金額だと34億円相当。
遊園地のアトラクションの一つと言うより、小規模な遊園地を丸ごと建てるような金額と言える。
不思議と、同じ高度経済成長期を経験して居る筈なのに、韓国でも中国でも、巨大建築とか、わかりやすい男根信仰じみたバブルの象徴っぽい建築物はある*1んだけれと、日本の「ダットサンベビー」やら「もぐりん」やら「アクアポリス」やら「R360」やら、技術的困難を金と勢いで突破して、夢を与えるような「何か」と言うものがあんまり無いように思う。
これは、文化の差なのか、文化成熟度の差なのか、興味深いなぁ、とニュースを見ながら思った。

*1:もちろん日本にもある