gayuu_fujinaの愚草記 (別館→本館)

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東京・公立福生病院:透析中止問題 患者団体「本人に判断迫るのは酷」 - 毎日新聞

東京・公立福生病院:透析中止問題 患者団体「本人に判断迫るのは酷」 - 毎日新聞

公立福生(ふっさ)病院(東京都福生市)で人工透析治療をやめる選択肢を示された女性(当時44歳)が死亡した問題で、透析患者の受け止め方はさまざまだ。【矢澤秀範、田口雅士】
患者らでつくる「東京腎臓病協議会」(豊島区)の板橋俊司事務局長(69)は「患者は精神的に追い詰められているので判断を問うのは酷だ」と言う。板橋さん自身、週3日の通院を14年続けている。左腕に作った血管の分路(シャント)が壊れ、福生病院で直してもらったこともあるが、「医師のさじ加減で意思決定を迫るのは、道徳的にも問題ではないか」と話す。
板橋さんによると、80代だった男性会員は数年前、「人生に満足した」と自らの意思で透析治療をやめて亡…
(後略)

https://mainichi.jp/articles/20190308/ddm/041/040/079000c

もし、この話を「自己責任論」で語る奴がいたとしたら、根本的に馬鹿だと思う。
責任うんぬんの話じゃないからだ。
医者はカミサマでもなければ、お前のカーチャンでもない。
医者がどんなに治療を望んでも、患者本人と家族に拒否されれば治療できないし、逆に苦しむだけと判っていても、患者本人に意思確認が出来なくなれば、家族の意思で辛い延命治療をしなくてはいけない。
医者が命を好き勝手にコントロールできるなら、日本で馬鹿げた医療訴訟なんて最初から起きない。
そもそも、「本人に判断迫るのは酷」って何だ!?
そりゃ、鬱病だったりDV後遺症で正常な判断力を認められない、認めては不味い状況で、本人に判断をさせる事はダメだろう。
しかし、本件では、本人と家族が決断し、その同意によって透析中止を行っている。
そもそも、腎不全は治らない病気であり、透析は延命でしかない。
そして、透析自体が、QOLを大きく下げる枷である事も認識されるべきだろう。
残りの一生を、透析という重い枷を付けて延命する生き方を望むか、死を選ぶかの選択肢は、きちんと提示されてしかるべきだし、それを判断できる状態にあるなら、自分で「選ぶ」べきだ。
選択できる余地と能力がある、のだから。
それを後から「『命を諦めろ』と言われたように感じた」などと、医者を悪者にして、被害者ヅラするのは、誠実に対応していた医者に対する非常識な八つ当たりであり、こんな戯言を真に受けた記事を書く記者や、生きる選択すら本人で決断する事を厭い、医者に押し付けようとする患者団体は、本当に存在自体が害悪だ。
国民の負担である医療保険を湯水のように利用して繋いでいる高コストな命を、国民の害になるようにしか使えないなら、国保の無駄だから延命なんてやめちまえ、と思う。
加えていうなら、高須医院長が言うように、透析中止は、「安楽死ではない」。
延命を止めるんだから、病状は悪化の一途をたどる訳で、苦しむのは当然の結果だ。
しかし、日本は安楽死が認められていないら、医者に可能なのは苦痛の緩和だけ
それだって、限界があるから、患者は文字通り「死ぬほど苦しい」のだ。
そして、苦しくなれば、透析中止を後悔する気持ちも出てきて当り前だろう。
マスコミは、この辺りの「医者にはどうしようもない法の壁」を無視して、医者個人の問題に押し付けるようなら、マスコミとしての存在価値を自ら投げ捨てているも同然だ、と言う危機感を持って記事を書いて欲しい。
延命治療を放棄した際に、安楽死も選択できるよう、そういう議論に持って行くべきだろう。
そして、残された遺族の気持ちの問題は、医者の問題でもなければ、マスコミが弄んでよいネタではない。
そんな遺族の責任転嫁の暴言を真に受けて、医者を潰すようなら、それこそ大迷惑な話、なのだ。
いっそ、「生まれた日は違えども、死すときは同じ日・同じ時を願わん」ではないけれど、安楽死が合法になって、自殺に寄らずして、自分で死ぬ日・死ぬ時間を選べる未来の方が、より豊かなのかもしれない、と思う気持ちもある。